編集員通信


“勤勉な者の頭に宿った神”

 第34回スプリンターズステークスを制したのは16頭立て16番人気のダイタクヤマトだったのは周知の通り。91、92年のマイルチャンピオンシップを連覇しているダイタクヘリオスにとっては、かけがえのない孝子の出現である。

 ダイタクヤマトは、99年の2月から石坂厩舎に転厩して来た。石坂師は79年に厩務員として内藤厩舎からこの世界に入って来て、調教助手となった1年後の82年3月に橋口厩舎へと移った。以来15年間橋口師の下で厩舎経営の良き補佐役として働いており、調教師免許を取得した翌98年3月1日に開業している。

 丁度それから1年後に橋口師から、当時オープン級であったダイタクカミカゼと、1600万クラスだったダイタクヤマトについて「どちらか希望する方を持って行っても良いよ」と声を掛けて貰った。

 ダイタクカミカゼは、父ダイタクヘリオスの弟で93年生まれ。一方のダイタクヤマトはひとつ下の94年生まれ。その頃というと両馬共に放牧休養中であり、復帰は同時期になりそうな時。橋口師は、オープンで通用するメドの立っているカミカゼの方が良いのではないかと内心思っていられたようだが、石坂師の選んだのは若いヤマトだった。両馬のことについては、橋口師に劣らないぐらい全ての面に精通している。将来的にはヤマトの方が伸びるとの見込み。

 カミカゼがカムバック後14戦し、オープンでは勝てないままに去って行ったのに対し、ヤマトは戦列復帰4戦目で1600万級初勝利。その3戦後に2勝目を挙げてオープン入りする。石坂師の見立てに応えるように、オープン級になってからもメキメキ粘りとスピードを強化し、3戦目でやまびこSを勝つ等、上昇の勢いは止まるところを知らず、ついには前記G1勝ちへと登り詰めて行った。余韻さめやらぬうちにスワンSをも勝つに至って、G1がフロック勝ちでなかったことを証明している。振り返ってみれば、二者択一を迫られた時、最良の選択をしたわけだ。

 これは、決して瓢箪から出た駒ではない。日頃の怠りない精進がこういう形で結実したものだ。正直者ならぬ、勤勉な者の頭に神が宿った。

 

編集局長 坂本日出男

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