編集員通信


“安藤勝と武豊の対決先送り”

 9月8日阪神競馬初日5Rの新馬戦において、安藤勝己騎手はゴール100m地点でマヤノグレイシーが内ラチに接触したためにバランスを崩して投げ出され落馬。障害コースとの間にあるコンクリート製の側溝部分に転落し、ワンバウンドの後に植込みへ突っ込んだ。すぐさま救急車で尼崎市の関西労災病院へ搬送され、診察の結果、胸椎圧迫骨折、肋骨々折、右足第2基節骨々折のため3カ月の加療を要すると診断された。

 開催終了後、村上記者と連れ立ってお見舞いに駆けつけた。その頃は、最初の一報に生きた心地せず、取るものも取り敢えず駆けつけたご家族にもようやく安堵の色が戻ってきていた。夫人や、兄の安勝光彰騎手への挨拶もそこそこに直ちに病室へ伺った。打撲を負った左の瞼も少し腫れていたが、言語には支障がなく、会話はスムーズに運ばれてひと安心。記憶もほぼ元の状態に戻っていて「道中何度も外へ逃げかかっており、用心はしていた」とレースぶりを克明に説明してくれるほど。7Rで幸に乗り替わったスターアライン(笠松)が勝ったことを聞いて“やっぱりそうでしたか。あれはいいところ(勝ち負け)があると密かに期待していました”とも。

 朝日チャレンジCのトウカイパルサーを始めとして、日曜日を含めて有望馬の依頼が数多かっただけに、しきりと残念がっていた。当分の間、特別な治療はなく、俗にいう“日にち薬”日々の養生に努めることを言い渡されており、「3カ月もなァ」と思わず嘆息が漏れる。体さえ動けば今日、明日からでも乗りたいような感じでまさに意気軒昂。JRAの調教師からも認められてきたことを実感する昨今、秋のG1路線を控え、希望が現実のものになりかけていた矢先だけにショックは大きかったに違いない。“今までが働き過ぎ。このへんでひと休みしなさいと神様の思し召しかも知れない”とはいってみたものの、いかにも取ってつけたようで慰めにならなかったかも。別れ際に「来年、また一から頑張ります。皆さんによろしくお伝え下さい」とのことだった。決して小さな事故ではなかったが、命に別条のなかったことは不幸中の幸いだった。騎手を続けている限り、武豊との手合わせは幾らでもある。G1への挑戦機会も同様に継続しているはずだ。

編集局長 坂本日出男

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