編集員通信


ジョッキーとツキ


 2月13日京都の橿原ステークスは、1600万クラスの古参兵を相手に、900万から昇級したばかりの新兵タヤスケーポイントが差し切った。リングハミを使用し、レースにはシャドーロールも装着するなど、勝つためにいろいろ手を尽くされていたし、デビューから殆どを任されていた松永幹も、絶えず乗り方を工夫しながらやってきていた。

 はっきり言って誠に御し難い馬なのだ。それを、稽古にも乗らぬ実戦のみの全くのテン乗りであった安藤勝が、4角で大外へ持ち出して豪快に追い込みを決めてしまった。多少内へモタれる癖は出していたが、指示に従わさせるあたり大した技術の持ち主である。
 同じレースで3着に入線していた松永幹が凄く悔しがっていたと聞いた。3勝目を挙げる迄の道の遠さ、あれは一体何だったのかという思いがあったからだろう。

 「馬に競馬を教え込んで行く」よく耳にする言葉だ。学習機能は個体差があり、当然飲み込みの早い馬、遅い馬がある。試行錯誤を繰り返しながら、時間をかけてどうにか“これなら”というものを教え込み、さあこれからという段階に入った直後だったのがこのレース。1200mでは仲々うまく行かなかったのが、1400mになって計算通りに運べた。この答えが本物なのかどうか、もう1度適条件下で自ら確かめてみたいところを、安藤が代わって果たしてくれた。それはそれでよくても、自分にはふっきれないものが残ったということだろう。
 松永幹がやっとそこ迄仕込んだことが無駄ではないものの、評価されないおそれはある。

 翌日マチカネアカトンボが、500万クラスよりも速いタイムで未勝利を脱した。松永幹から幸へ乗り替わっていて……。西園師も開口一番「幹夫君はツイてないなア。あれほどのジョッキーでもそんな時ってあるんだよなア。それ迄下手に乗ったということは決してないのに勝てなかった。やっとデキも良くなった時に、東京遠征で乗れないという偶然」と同情している。
 ツキも実力の内とは言うが。

編集局長 坂本日出男

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