編集員通信


“目の色変えて頑張る記者連中”

 天皇賞のスペシャルウィークには恐れ入った。久々をひと叩きして一変、とはよく使われる文句のひとつに違いないが、例え負けても、次には変われる手掛かりの残ったレースをしてくれてからの話。京都大賞典でのスペシャルウィークは、まるで踏ん張り通そうという気迫が欠けていた。あれでは、次に期待をかける方が無理だと、大方は受け取っている。その不安な気持ちに輪をかけたのが10月27日の追い切りだった。大体、本番前の記者会見で体調不安を口にするようなことのなかった武豊が、珍しく控え目な発言をしていた。スポーツ紙がこぞって不安説を書き立てたし、本紙を含め専門紙の多くが同じような見解を示すに至っては、当日4番人気まで評価が下がったのも当然であったろう。印を下げた時に力走されて後悔することは少なくないが、90年に樹立したヤエノムテキのコースレコードを更新したばかりでなく、確立していたはずの好位差しのパターンを潔く捨て去って、皐月賞、ダービーに用いた追い込み策への大胆な転換。戦法は完全に数多くの記者が考えていたことの逆を行っていた。

   秋華賞では武豊(トゥザヴィクトリー)を頼って潰れ、天皇賞は武豊を見限って痛いシッペ返しを食らう。かくも競馬は難しいと責任転嫁したところで、所詮、自責の念から解き放たれはしない。後に続くレース、今回で言えば菊花賞をズバリと当てて、はじめてそこで気が安まる。その為、今週の記者連中の目の色は変わっている。まさに血走っている。追い日に(11月4日)調教終了でスタンドから引き揚げてきている折りに、途中で武邦師と顔が合った。そこでひと言、「どうや、良い馬でも見つかったかい?ブゼンキャンドルのようなのを見つけんと。プロやろう」とは、耳が痛い。「よう言うわ」としか返す言葉がなく、笑ってごまかす体裁の悪いこと、この上ない。


編集局長 坂本日出男



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