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編集員通信
競馬ブック編集員が気になる事柄にコメント
競走馬取材の難しさ






 

◆“競走馬取材の難しさ”

  金曜朝、午前10時。突然社内が騒然となった。土曜日に行なわれるレースの枠順が発表される直前になって、JRAから出走取り消しの連絡が入ったのだ。取り消した馬の名前はグリーンプレジャー。メインの朝日チャレンジカップに出走予定を組んでいる有力馬の一頭だ。談話、調教欄はもとより、見解、展開図、ポイントと様々なところにこの馬の名前が出てくる。そのすべてを瞬時に削除して他の原稿に差し替えなくてはならない。社内は一瞬にして怒号の飛び交う戦場となった。数分後、何事もなかったように枠順が発表されて、当日版作成は普段の時間どおり無事に済んだ。「本命馬じゃなくてよかった」と編集部全員が胸をなでおろした瞬間でもあった。取材対象が物言わぬ生身の競走馬である以上、こういったアクシデントが起こるのは決して珍しいことではない。

 取材班としてトレセンを走り回っていた頃は、時としてこういった事件に遭遇。対応に苦慮したものだった。いちばん記憶に残っているのは、ある秋のG1レースでのこと。普段どおり土曜朝の直前取材で厩舎に顔を出したところ、いつもは「おはよう」と明るく声をかけてくれる厩務員の表情が硬い。ふと馬房をのぞくと、見慣れた鹿毛馬Aがこちらを見ている。顔つきは普段と変わらないが、右の前足には真新しい白い包帯が巻かれている。Aはスポーツ紙の紙面で連日“絶好調”と大々的に取り上げられている本命馬だ。担当者として起こったことの詳細を取材しないわけにはいかない。

 早朝取材を終えて出社。本紙担当者に事実関係を伝えた。土曜朝になってAの右前足に軽い腫れが生じて馬場入りを休んだこと。微熱は出たが痛みはないこと。その原因がはっきりしないこと。そして出走するか取り消すかは今後の経過を見守った上で決定することなどを。本紙担当者は苦慮した。前日発売がある土曜版の新聞ではAを本命にしている。取り消しが確定なら印を打ち直せば済むことだが、どうなるかが判らない。更に腫れの原因が掴めないので競走能力にどの程度影響するのか正確な判断ができない。やむなく、本紙担当者は印をそのままにして予想の連番だけを少し変えた。私自身もこの馬の取捨選択について結論が出せず、胃が痛くなった。

 一番人気の支持を集めてレースに出走したAは掲示板に載ることもできずに完敗。馬番連勝で万馬券が出る波乱の決着となった。パドック、本馬場、レースと、私はAだけを食い入るように見守り続けたが、返し馬でも本番のレースでも、普段と変わった様子はなかった。体調面は問題なしと思えたのだ。唯一、違っていたのは騎手がゴーサインを出してからの反応の悪さだった。

 「獣医さんに見てもらっても原因が判らんかった。熱や腫れは引いたし、土曜の午後に馬房から出してみたが、歩様にも違和感はなかった。それで出走させたんやけど、あの判断がどうやったんかはいまでも判らん。人気しとるんやからファンに迷惑がかからんようにせないかんとは思ったが、一生に一度しか出られんレース。馬のためにも、厩務員としてはなんとか使ってやりたかった」

 それからのAは何度かレースに出走したものの、全盛時の軽やかなフットワークが戻ることはなかった。半年ほどたってAは競走馬生活を引退し、牧場へ帰って繁殖牝馬となった。いまでは何頭かの母となっている。担当厩務員も数年前に定年を迎えて退職した。あれから随分時間がたったが、この季節がやってくると競走馬の取材の難しさについて、改めてあれこれ考えてしまう。


競馬ブック編集局員 村上和巳


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