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編集員通信
競馬ブック編集員が気になる事柄にコメント
善さん、おつかれさま






 

◆“善さん、おつかれさま”

  ブロンズコレクターと呼ばれたナイスネイチャのことをまだ覚えているだろうか。1991、92、93年と、3年連続して有馬記念で銅メダルを獲得した個性派で、G1レースこそ勝てなかったが、長くオープンで活躍した馬である。勝ち切れないながらもレースではいつも必死で駆ける。そんな姿に心を動かされる人間も少なくはなかった。判官びいきもあったのだろうが、その競走成績以上に多くのファンに愛された馬の1頭だった。94、95年にも有馬記念に挑戦して5、9着。6年連続で有馬記念に挑戦か?と話題を集めた96年のファン投票でも上位に選出されながら「ファンの期待に応えられる状態にない」との判断で出走を断念。ほどなく引退したが、無理使いを避けたのは調教師の英断だった。一流の切れ味とゴール前で頭を上げてしまう気難しさ。そんな相反する面が同居していたあの馬の独特の走りはいまも忘れない。

  そんなナイスネイチャを管理していたのが松永善晴調教師。頑固で気難しいが、馬に対しては限りない愛情を注ぐ“善さん”。個人的には好きな調教師のひとりだ。厩舎取材班だった頃、初めて松永厩舎の担当になって挨拶に出向いたときの印象はいまでも鮮烈。厩舎の前の庭で草むしりをしている中年男性に「松永先生はいらっしゃいますか」と礼儀正しく挨拶した私。それに対して「いま、外出中や。馴染みのないヤツとはしゃべらん人間やから、諦めて帰れ」の返答。いきなりカウンターパンチに困惑したが、数分後にはその中年男性が調教師自身だと判明。前途多難を思わずにはいられなかった。まともに口をきいてもらえるまでにかなりの時間を要したのはいうまでもない。

  「ここまでの勝ち鞍がなんとか600勝を超えた。600勝といえば20勝以上を30年間続けないかん計算、ようやってきたもんや。G1勝ちは東京大賞典(97年トーヨーシアトル)だけやったが、重賞は30ほど勝てた。途中で病気(数年前に脳溢血で入院)にならんかったらもう少し成績は上がったやろけど、まあ、それも含めてワシの人生。ずっと馬と一緒に生きられただけでも幸せやった」

  これは先日にトレセンへ顔を出したときの同調教師のコメント。病気で倒れてしばらくは意識が混濁。何度か見舞いには行ったものの、正直なところ立ち直れないのじゃないかと心配した時期もあった。私の顔を見るやいなや元気にあれこれ話してくれた姿に安堵。よくここまで回復してくれたものだと嬉しくなった。

  いまこの原稿を書いているパソコンデスクの横には仕事用の机も並んでいるが、その机の引き出しの中にはテレホンカードがしまってある。ナイスネイチャ、トーヨーシアトル、ポットテスコレディ……といった重賞戦線で活躍した馬たちのものが。そしてその机の上には、善さんがファン数名にも抽選でプレゼントしたナイスネイチャのブロンズ像が飾ってある。こういった競走馬の記念品を私に手渡すとき、必ず付け加えていた善さんの台詞がある。

  「競馬ってのはファンがいるからこそやっていけるもの。ワシらが普通に生活できるのも応援してくれている競馬ファンがいればこそ。だからこの記念品をファンにプレゼントしてやってくれ。応募が多くて数が足らんくなったらもっと増やすから、遠慮せんとそう言ってくれよ」

  最近はファンの存在をきちんと認識しつつコメントする調教師が増えてきた。本来はそれが当然とも思えるのだが「ファンの皆さんに喜んでもらえる競馬をお見せしたい」と言いつつ、それがその場限りの言葉だったりする人物も一部にはいる。「ファンなんて好きで馬券を買うんだから、ほっといても大丈夫」といった言葉を平気で口にする人物に呆れ果てたこともある。馬を愛しつつファンに対する感謝の気持ちを常に忘れない―そんな善さんの姿にはいつも畏敬の念を抱いていた。

  いろんなことを教わり、公私ともにお世話になった松永善晴調教師が2月いっぱいで定年を迎えることになった。寂しい気持ちもあるが、これも時代の流れなのだから仕方あるまい。30年間ごくろうさまでした、善さん。


競馬ブック編集局員 村上和巳


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