声の主は角居勝彦厩舎の滝川清史クン。デルタブルースを菊花賞馬に育て上げた調教助手だ。担当馬をクールダウンしている最中にもかかわらず、人懐っこい笑顔で話しかけてきた。30代後半になっただろうに屈託のない明るい表情は若者の頃と変わらない。個人的な付き合いはないが、彼の奥さんが以前にケイバブックの編集局で仕事をしていたという事情もあって顔を合わせるたびにいろいろ気を配ってくれる。快活で機転のきくタイプだった彼女のことだから、きっと良きパートナーとして彼を支えているのだろう。
数分後に最初の目的地ハの16棟に到着した。旧土門一美厩舎である。調教師が亡くなったあともそのままのスタッフでの厩舎運営(名義上は藤岡範士厩舎となっている)を続けていたが、5月20日には正式に解散。各スタッフは何軒かの厩舎に分散する。そんな時期だからこそ会っておきたかった人もいる。
「どこに行くことに決まったかって?小島貞博さんの厩舎にお世話になることになったよ。年中机にばっかり向かってるとよくないから、またトレセンにきて新しい厩舎の方にも顔出しなよ」
愛馬に鞍をつけてウォーミングアップに出ようとするところだった石川博厩務員。髪の毛は真っ白だが、その仕事ぶりは相変わらず隙がない。思えば私がこの業界に足を踏み入れて最初に取材したオープン馬がアイノクレスピンで、この人の担当馬だった。桜花賞5着、オークス2着とG1は勝てなかったが、牝馬ながら神戸新聞杯に勝つなど潜在能力の高さは際立っていた。好きだった馬の一頭である。当時は二人とも20代だったが、バリバリのオープン馬の担当者と駆け出しの新人。立場が天と地ほど違って迷惑ばかりかけていた。当時を思い出すといまでも恥ずかしいが、同時に懐かしくもある。
「いま何時や思てんねん。(予定より)1時間も遅れてるやないか、アホ。調教いうのは限られた時間に全員が協力して消化せないかんもんやろ。お前がこんかったせいで2番乗り以降が全部予定狂ったやないか。全員に迷惑かけたんやで、まともな追い切りできん馬まで出てきた。この仕事は朝起きてなんぼや。飲みすぎて起きられへんようなやつはウチにはいらん、もうやめてまえ」
猛烈に怒る某調教師と泣きそうな顔で頭を下げ続ける若手調教助手。朝のトレセンでは稀に見かける風景だ。馬場の開場している時間が限られているため、その間にすべての馬をメニュー通りに調教しなくてはいけない。だからスタッフは分刻みで正確に行動することが義務付けられている。「この仕事は朝起きてなんぼや」は厩舎関係者だけではなく、取材陣にも通じる言葉である。現場時代の私も何度か寝坊して冷や汗をかいたものだったが、不思議なことにそんなときに限って事後処理がスムーズ。大事に至ることは一度もなかった。妙なところでだけ悪運が強かったのかもしれないが、最近になってそのツケが回ってきているような気もする。
今年4度目のトレセン放浪もなんとか終了。駐車場に向かって歩いていると、とある厩舎の前にB騎手の姿があった。数メートル横を通り抜けようとすると会釈してくる。思わず「先週はいい競馬をしたな」と軽く声をかけて近づいた途端に右横から「カット!だめ!撮り直し」の声。よくよく周囲を確かめると建物の陰にカメラマン、インタビュアー、ディレクターが渋い顔で立ち尽くしている。瞬時に状況を理解した私は「ご、ごめん。死角になって気づかなかったので……」と平身低頭。逃げるようにその場を去った。
あれから数日が経過したが、この話は誰にもしていない。真相を話したところで「また原稿用にネタ作りしたんやろ」とか「相変わらず変なところでだけ目立つ」と突っ込まれるだけだし、私自身もこんなワンパターンのオチで済ませる原稿なんて書きたくもない。しかし、事実は小説より奇なりというように、今回のトラブルも演出抜きで実際に起こったことなのだから仕方ない。それにしても、こういった情けないキャラクターから脱皮できる日はいつくるのだろうかと嘆きつつ、最後に言い訳をひとつだけ。テレビカメラが回る寸前に通りかかった人間に挨拶なんてしちゃだめだぞ、B騎手。