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1986年に生まれたジョーロアリングはリアルシャダイ×ジョーパデーシャ(父エルセンタウロ)の牡の青毛馬で、栗東の坪正直厩舎に所属していた。デビューしたのは4歳(90年)の3月。この時期までレースに出走できなかったため、中央場所での出走権を喪失。同時開催の春の中京でのデビューとなったのだった。いきなり古馬500万以下(1勝クラスの馬に混じって)に出走するという厳しいハンデを背負ったロアリングだったが、レースでは直線だけで素晴らしい追い込みを見せて3着に入線。それも、レースを使う週に軽く16―16を乗っただけ。追い切りらしい追い切りは一本もないままでの出走だったのだから驚かされる。
「トレセンに入厩させる前から、身のこなし、乗り味、馬体の良さとすべてが際立っとった。走ることに関しては図抜けた能力があるのは判っとったが、いかんせん、足もとが弱かった。480キロ台と馬格もあって、キツいトレーニングをしたらすぐに壊れてしまいそうやったから、どうしたらええか、どうやったらこの馬の能力の高さをレースで証明できるか。いろいろ悩み続けたもんやった」
そう回顧するのは坪正直調教師(今年2月一杯で定年)である。ポテンシャルは高くともまともなトレーニングをすれば壊れてしまいそうなガラスの足を持つ馬。そんな一頭の管理馬を完全燃焼させるために、同調教師は試行錯誤を繰り返した。朝、昼の運動量を他馬の倍以上に増やしたり、坂路や逍遥馬道を延々と歩かせたり。しかし、様々な創意工夫も実を結ばず、競走馬としてのジョーロアリングの前途には暗雲が立ち込めたままだった。負荷を多くすると足もとに疲れが出る。かといってセーブすると調整が進まない。そんなことの繰り返しだったのである。
ジョーロアリングが上述の通り無事にデビューを果たしたのは4歳の春。初戦こそ差し届かずに3着に敗れたが、それ以降は6戦5勝の大活躍。ついにオープンまで駆け上がったのだった。デビューから数えて8戦目に挑戦したG3の阪急杯(91年)では好位から軽やかに抜け出して先頭のままゴールイン。見事に重賞初挑戦初勝利を達成したのである。もちろん、ここまでの間に、この馬が馬場(トラック)で一杯に追われることは一度もなかった。
「競走馬としてのデビューを半ば諦めかけていた頃に、思い立ってプールに連れて行った。すると、嫌がらずにちゃんと泳いだ。ワシなりにいろいろ調べて、プールの指導員や獣医にも話を聞いた。水泳といえば心肺機能を高めるのがメインやけど、浮力があるので足もとに負担がかからんというメリットもある。トレセンの1周50メートルのプールを40秒程度で泳げば、馬場に出して15―15を乗ったのと同じ運動量になるいうことを聞いて、これや!と思ったんや。それからというものは、馬場で軽く乗ってはプール、プールで鍛えては運動、そんなことを繰り返しつつ、なんとか出走に漕ぎつけられた。トレセンにプールがなければデビューして2、3戦でダメになっていたタイプの馬やろな」
調教師の執念が結実したともいえるこのプール併用のトレーニング。それによってデビューすら危ぶまれていた競走馬が重賞勝ちを果たすまでに出世したのだった。しかし、そのジョーロアリングは阪急杯以降にオープンを5戦したが、一度も勝てないままに引退した。もちろん、この馬自身の体調の変化もあったのだろうが、プールを利用したトレーニングだけでは一定の状態を維持するのが精一杯で、持てる能力を極限まで高めようとするには無理があったのかもしれない。また、馬たちを必要以上に速く泳がせようとすると、変則呼吸を強いるために鼻出血を発症するケースもままあるとか。あくまでプールトレーニングの基本は心肺機能の強化と心身のリフレッシュなのだから。
必要以上に馬体を緩めず必要以上に気持ちを張り詰めさせず―そんな状態を維持させるには格好のトレーニング施設となっている馬のスイミングプールが栗東トレセンに完成して今年で17年。いまでは利用馬が70頭を超える日もあると聞く。無敗で皐月賞、ダービーを制したディープインパクトは暑くなる前に北海道へ移動する予定のようだが、現在は疲労回復と気分転換を兼ねてトレセンのプールを4周するのが日課となっている。 競馬ブック編集局員 村上和巳 ◆競馬道Onlineからのお知らせ◆ このコラムが本になりました。 「トレセン発 馬も泣くほど、イイ話」⇒東邦出版HP