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競馬ブック編集員が気になる事柄にコメント
グリーンウッド探訪記
“グリーンウッド探訪記”
待ち合わせたのは火曜日の午後1時15分。休日で閑散とした会社に集合して4人で1台の車に乗り込む。ハンドルを握るのは坂井直樹で助手席でナビゲイターを務めるのは足立雅樹。どちらも入社2年目の若手だ。後部座席右側には中堅の西村敬、その隣にオッサンの私。全員が揃っていざ出発だ。一旦は栗東トレセン方向に車を走らせ、途中の三叉路で方向転換して一号線沿いの裏道に入る。石部、甲西、水口を通過しつつ、山合いの道を「道が地図と違う」「方角がわからない」と4人でワイワイ騒ぎながらも、予定の30分よりも15分ほど遅れてなんとか目的地にたどり着いた。
競馬ファンならほとんどの人間がその名前を知っているグリーンウッド(正式名称はグリーンウッド・トレーニング甲南馬事公苑)は滋賀県甲賀市甲南町にある。全体の面積は約28ヘクタールで施設面積は約5ヘクタール。道を隔てた二つの小さな山を切り拓いて作られたグリーンウッドは思ったほど広くはないが、その敷地内の北側には全長1000メートルのトラックと全長600メートルの全天候型(屋根つき)の坂路があり、南側には200馬房ほどの厩舎、診療所、検疫馬房、ウォーキングマシンなどが整然と並んでいる。天井が高くて広い馬房はゆったりしたつくりになっていて、馬たちの世話をする人間は20代の若者ばかり。それぞれがキビキビと仕事に取り組んでいる。平成13年に完成してまだそう時間は経っていないが、アメリカンオークスを勝ったシーザリオに代表されるように、たくさんの競走馬がここの施設を活用して活躍している。
「前走後はグリーンウッドに短期放牧に出してリフレッシュしていた」というコメントを最近はよく見かける。そのイメージからすると牧草地が広がる放牧場を連想しがちだが、そういった場所は一切ない。ここは栗東トレセンをコンパクトにまとめたような雰囲気であり、外厩という一面も兼ね備えている。つまり、単に調教師が競走馬を短期放牧に出して精神面のリフレッシュを図るだけでなく、馬房調整の目的で管理馬を入れ替えつつ効率よく出走させるための施設としても存在しているのだ。12馬房しかない若手調教師が数週間で馬房数の倍以上の馬を出走させられるのもトレセン近郊にこういった施設が増えているからこそ。
「200馬房あって、その利用度は8〜9割程度。それなりに認知されてきたとは思いますが、まだまだ課題も少なくはありません。休養馬を対象とする北海道あたりの牧場とは違って即戦力の競走馬を預かっている訳ですから、人的レベル、意識レベルを極限まで高めなくてはいけません。あたり前のことをあたり前にやっているだけでは完璧に責任を果たせているとは言えませんからね。100パーセントの、いや120パーセントのケアをして、少しでも気になることがあったら納得するまでとことん馬のことを調べる。若い人相手にそういった意識を浸透させるのはなかなか難しいことですが、それはグリーンウッドが存在する上での必要不可欠の条件でもあるわけですから」
物見遊山で見学にやってきて、やれローゼンクロイツがいるだのあれはトーセンダンディだのと騒々しく動き回った私たち4人に付き合って、丸2時間も嫌な顔ひとつせず敷地内を案内してくれた厩舎部門責任者の加藤幸成さん。誠実さが伝わってくる対応と、上述のコメントが示すその沈着冷静な説明ぶりには正直なところ感心させられた。競走馬がいるところには常に人間たちがいて、そんな人間たちの意識レベルの違いが競走馬の成長度合いに差を生じさせるのである。
グリーンウッドの場長幣旗政則は十数年前まで栗東の坂口正大厩舎で調教助手をしていた人物である。持ち前のあたりの柔らかさで繊細な牝馬や華奢な男馬を育てる手腕には定評があった。その当時、私が坂口正大厩舎の担当だったこともあって彼とは顔見知りだった。一定期間を栗東トレセンで過ごしたのち、彼は北海道静内にある実家のへいはた牧場(1973年に宝塚記念を勝ったハマノパレード、1993年にジャパンカップを勝ったレガシーワールドを生産)に帰って家業に専念した。そして、4年前に請われてこのグリーンウッドにやってきて現在に至っているのである。
知人を通じて「一度ぐらいは顔を出してよ」と政則が声をかけてくれたことがキッカケとなってグリーンウッドにお邪魔することになったのだが、久しぶりに会った彼は若い頃に比べるとふた回りほど貫録がついて(とくに腹回り)いた。昔からの知り合いで相手が歳下だからといって、とても「まさのり」なんて気楽に呼べないなと実感したが、握手したときの人懐っこい笑顔は昔のままだった。
競馬ブック編集局員 村上和巳
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1951年北海道生まれ。怪しげなROCK喫茶の店主兼使用人だった当時に競馬に熱中。気がつけば1977年に競馬ブック入社。趣味の競馬が職業に。以降24年間、取材記者としてトレセン、競馬場を走り回る。2002年に突然、内勤に転属。ブック当日版、週刊誌の編集に追われている。2003年1月からこの編集員通信の担当となったが、幾つになっても馬券でやられると原稿が進まない自分が情けない。
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