・ウイングランツ ・ブルートルネード ・エリモハリアー ・スプリングシオン ・エアセレソン ・タイガーカフェ ・グランリーオ
ライヴの最中にふと気になったのが隣席のカップルの会話。まずは男性が漏らした「なにげに格好いいんだろう」という言葉。“なにげに”=“何故に”と解釈すればいいのか、それとも“何気なく”の若者風デフォルメなのか。そんなことをあれこれ考えていたら、今度は女性の方が「少し煮詰まってきた」と疲れた口調。ギター、ベース、ドラムが響き渡る会場での会話とあって、聞き間違いかとも考えたが、会話の流れからすると間違いでもなそさう。混乱してきたのでそれ以降はカップルの会話をシャットアウトしてステージに専念したが、曲と曲の合い間に“煮詰まる”=“議論を出し尽くして詰めの段階になる”が、むしろ“煮詰まる”=“行き詰まる”のニュアンスに聞こえるし……、などと再び混乱状態に陥っていた。
先日、文化庁が発表した「国語に関する世論調査」によると、若者言葉の定着によって日本語の解釈が世代ごとに食い違ってきているケースが目立つという。「世間ずれ」が“世間でもまれてずる賢くなること”から“世の中の考えから外れていること”になり、「やばい」が“あぶない・危険である”から“素晴らしい・格好いい”に変化しているというのだ。そんな新聞記事を読むと前記の“煮詰まる”もそういうことなのだろうと想像できるが、もし若者に「村上さんってとってもやばい」なんていわれようものなら絶対に喜べない。まあ、そんなことをいわれる機会があるはずもないのだが。
「京王杯の日に府中へ行ったので競馬ブックを買おうと思ったのですが、“ダンスWithデザーモ”の見出しが踊ってるのを見て、ちょっと買うのを躊躇しました。他紙も同様に破壊力満点の見出しで、同行した友人が『やっぱり競馬はオヤジの聖域なんだね』と申しておりました。笑っていいのかダメなのか判断に苦しみます。どうにかしてください(苦笑)」
これは先日、20代の女性から私宛に届いたメール。な〜んていうと訳ありみたいだが、彼女の父は私の昔からの友人。私のことをきちんと“おじさん”と呼ぶ健全な関係である。そんな彼女から上記のようなメールをもらい、ジェネレーションギャップを痛感した。日曜日の新聞の関西版見出しを担当していていつも頭を悩ませ、相変わらず金曜午後には胃痛に襲われている私。京王杯当日の関東版の見出しに目を通したときも“悪くないじゃないか”と思っていたのだから。このメールをもらっていろいろ考えた。
出版業界の片隅にひっそりと身を置くかなり頼りない編集者の私ではあるが、巷間に氾濫する怪しい若者言葉をそのまま容認する気はない。しかし、言葉というものは時代とともに変化する。批判の精神を持ち合わせつつも、そんな変化の背景にある若者の感覚や意識についての考察は必要不可欠だと考える。オヤジ世代として、ただ自分たちの領域を守るだけの日常を送っていては若い世代にそっぽを向かれて当然。これは若者離れが進むといわれるJRAにも通じること。若者が興味を失った文化は廃れていくだけなのだから。
JEFF・BECKのライヴには時間が経つのを忘れた。天才的なテクニックは磨きを増す一方であり、年齢を超えて更に進化しているその姿には驚かされた。エンディングで奏でた『OVER THE RAINBOW』について、本来はヴォーカルナンバーであるべきだと個人的に認識していた私。ところが、繊細にして感情豊かなギターの音色にはそんな意識を根底から覆されてしまった。61歳とは思えない若々しさを誇る英国人ギタリストの演奏は言葉を超え、世代を超えて観衆を魅了した。 競馬ブック編集局員 村上和巳 ◆競馬道Onlineからのお知らせ◆ このコラムが本になりました。 「トレセン発 馬も泣くほど、イイ話」⇒東邦出版HP