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先週のこの欄で『トリビアの泉』というフジ系列の人気テレビ番組の企画担当者から弊社編集部に「競馬の騎手の勝負服について番組で取り上げたい」という主旨の電話があったと書いた。話の流れで「過去に貸し服で重賞レースを勝った馬がいたかどうか。そして、それが番組でトリビアとして取り上げる価値があるかどうか」と相談されて面白がってその調査を気楽に引き受けてしまった私。それからはJRA広報室に問い合わせ、弊社資料室にこもり、更に弊社開発部(コンピューター部門)までに協力を求めてまあ大変。ヨレヨレになりながらもなんとか貸し服で重賞を勝った2頭を発見した。
まずはライフタテヤマ。1980年代後半に活躍した馬である。1985年のシンザン記念に出走したこの馬は、4枠の青い貸し服でレースに出走。見事に重賞初制覇を達成した。その後は芝で頭打ちとなったが、ダート路線に切り替えて大変身。個人的にはこの馬が“ダート最強”といまでも信じている。この馬については隣席のMの「なんというレースだったかは覚えていませんが、たしかライフタテヤマが貸し服で重賞の記念写真を撮っていました」という記憶をもとに、年代物の古い週刊競馬ブックの山のなかから該当レースを探し出した。写真で貸し服を確認した瞬間、嬉しくなって当時騎乗していた猿橋重利元騎手に電話まで入れた。
「ああ、久しぶり。どうしたの、突然。えっ、ライフタテヤマ? あの馬のことは忘れられないよ。そうそう、ケタ違いに強かった。ダートでは6戦6勝の負け知らず。いつも楽勝だったんだ。シンザン記念のとき? うん覚えてる。勝負服を持ってこなかったっていうから、仕方なく貸し服で乗ったんじゃなかったかな。たしか青い貸し服だったと思うよ。芝でもそれなりに走ってくれたけど、ことダートでは負ける気がしない馬だったな、うん」
いまは佐山優厩舎で調教助手として日々馬づくりに専念している彼だが、現役時代はシャダイソフィアで桜花賞(83年)を勝ち、このライフタテヤマでも重賞を3勝。トップジョッキーとして一時代を築いた人物である。何年ぶりかで突然電話を入れたにもかかわらず、きちんと対応してくれたのが嬉しかった。そして、彼の「たしか青い貸し服だったと思うよ」という言葉が第二の馬捜しの大きなヒントにもなった。猿橋調教助手との電話を終えた瞬間に忽然と田島良保(よしやす)調教師の笑顔が浮かんできたのである。独特のデザインの黒い貸し服を着てカメラマンに手を振る田島騎手の笑顔が。それはイメージ像というよりは過去の記憶の一場面と確信できた。こうなったらもう良保さんに電話するしかない。
「どうしたんや、こんな時間に珍しいな。ああ、何でも話していいよ。えっ俺が貸し服で重賞を勝ったことがあるかって?どうやろな。未勝利ぐらいならあったかもしれんけど、重賞となるとなあ……。えっ?黒い貸し服やったって。黒といえば2枠やな、2枠で重賞を勝った馬となると、う〜ん……(数十秒の空白)、そうや! ひょっとしたらノースガストがそうやったかも。どんなレースだったかは覚えてないけど」
馬名さえ判ればあとはレース写真を捜すだけ。資料室に戻った私は古い週刊競馬ブックを次々と調べて、ついに1980年秋の神戸新聞杯のレース写真を発見した。ノースガストに騎乗した田島騎手は貸し服で見事に先頭でゴールインしていた。当時の写真はモノクロームだったので服の色までは判別できなかったが、馬番から2枠だったことを確認。私と良保さんの記憶は見事に一致した。はしゃいで結果報告の電話を入れたところ「30年近くも前の話なのに、よく覚えてたな村上さん」と呆れていたが、何故、記憶に残っていたかというと話は簡単。私が田島良保ファンだったからである。三冠ジョッキーとして知られ、競馬マスコミからは“必殺仕事人”と呼ばれた田島騎手はたしかな騎乗技術と飾らない誠実な人柄で人気を集めていた。そんな有名ジョッキーを物陰からひっそりと見守っていたのが当時は駆け出しの私だったのである。
最初の電話の問い合わせから3時間ほどが経過。2頭を捜し出して満足感に浸っていたところ、JRA広報室から「貸し服で重賞を勝った馬が1頭だけ見つかりました」と連絡が入った。「ありがとう」と労をねぎらえばいいところを「こちらでは2頭も見つけましたよ」と自慢して、電話してくれた女性を閉口させた意地の悪い私。そんな態度を深く反省しつつ改めて、ご協力ありがとうございました、広報さん。後日、弊社開発部からは勝負服に関するすべての制裁事項(過去数年限定ながら)を表にまとめたものが届けられてビックリ。「業務ではなくてほとんど趣味の領域の調査だというのに、早速対応してくれてありがとう」と感謝の電話を入れた。担当してくれたY君とT君、ありがとう。
「いろいろ調べていただいて本当にありがとうございます。企画して上に通してみて、OKが出ましたら改めて連絡させていただきます」と『トリビアの泉』の企画担当者が電話してきてから2週間が経過しようとしている。なのにその後の連絡は一切ない。まあ、企画の段階でボツになったのだろうとの想像はつくが、それについては想定内。すべては徒労に帰した格好だが、久しぶりに猿橋君や良保さんと電話で話しただけでも楽しかった。そして、他社ではなくて我が競馬ブック(データ面では他の追従を許さないと自負している)に今回の問い合わせがきたということにもちょっぴり満足している私である。 競馬ブック編集局員 村上和巳 ◆競馬道Onlineからのお知らせ◆ このコラムが本になりました。 「トレセン発 馬も泣くほど、イイ話」⇒東邦出版HP