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確実に感性が鈍っている。精神だけでなく肉体の反応までがそうなのである。いまは週に五日は酒を飲む。以前にも書いたが、酒は強くない私。鍛えて鍛えられて一人前に飲めるようになったのは二十代半ば。とはいっても、深酒をすると気分が悪くなったり眠り込んでしまったり。長くは飲み続けられなかった。しかし、最近はかなり飲んでもそう変わらない。喉が渇いたといってはビールを飲み、疲れたといっては日本酒でも焼酎でもバーボンでも、なんでもグビグビ。なのに身も心もそう変化しない。やむなく酔ったつもりになって騒いでみたりするが、それも空回りばかり。長く生きてきたことでいろんなことに慣れすぎてしまったのだろう。
音楽を聴いても同様である。初めてレッド・ツェッペリン(このグループを認めていたのは3枚目のLPまでだが)を聞いたとき(1960年代後半)は鈍器で後頭部を殴られたような衝撃を受けて言葉を失くした。初めてジャニス・ジョップリンの『パール』を聞いたのは京都・下鴨神社のそばにあった『MAP』というロック喫茶。白人とは思えないその歌声に引き込まれてアブサン(単に安価で短期間に酔っ払える酒)を痛飲。同席した友人は感激のあまり落涙、一方の私は急性アルコール中毒で倒れた。ふたりとも多感だった1970年の話である。最近はあまり音楽を聴かなくなった。稀に接するとしても聴き慣れた1970年前後のものばかり。新しい音楽を消化するにはみずみずしい感性に欠けていると実感。少々のことで安っぽく「感動した」なんて言葉は使いたくない。しかし、痺れるような場面に直面したときにはもっとストレートに自分を表現すべきだと思うのだが、最近はそれができない。
9月25日の夜に数人の友人から電話やメールがあった。それぞれがハイテンションであり、当然のようにしっかり酒が入っている。「レースを見て久しぶりに鳥肌が立った」「あんなに一頭の馬に熱狂したのは記憶にない」「間違いなく史上最強!」といった感想をぶつけてくる。無難な返答でときを過ごしつつ個人的には妙に冷静だった。ディープインパクトが勝った神戸新聞杯は原稿に追われて満足にレースを見られなかった。区切りをつけて編集部のテレビの前に立ったのは各馬が直線に向かったあたり。難なく抜け出すインパクトの姿を確認して何事もなかったようにパソコンに戻った。多忙な時間帯だったこともあるが、最近は一頭の馬、ひとつのレースに感情移入することが少なくなっている。この歳までに何万回とレースを見てきたからといって胸の昂ぶりを忘れてしまっていいのかどうか。
池江泰郎調教師「ほんとうはこんな取材規制なんてしたくなかったんだよ。でも、日本中のファンがこの馬に注目していて、いろんなマスコミが厩舎に押しかけてくるようになった。なかにはトレセンの常識や馬の気質を知らずに馬房の周りで騒いだり物音を立てたりする人間も少なくない。馬になにかあったら取り返しがつかなくなるから、やむなく規制に踏み切ったんだ。なんとかベストの状態で菊花賞に送り出してやりたいし、それが私の仕事でもあるからね。見ての通り神戸新聞杯を勝ったあとも元気いっぱいだよ」
池江敏行調教助手「札幌競馬場に滞在しているときに、何人かに声をかけられました。一回でいいから、一度でいいから乗せてくれってね。馬乗りとしてその気持ちは痛いほど判るんです。跨ったときの感触、乗り味は言葉では伝えられないもの。ディープインパクトの背中ってこんなに気持ちがよくてこんなに素晴らしいんだぞって、仲間のみんなに知ってもらいたい。知ることは、馬乗りとしての一生の財産になりますからね。でも、アクシデントがあったときに誰が責任を取るのかと考えると、やはり他人には乗せられない。これは乗り手のうまい下手の問題じゃないんです。生身の馬のことですからね。僕もダービー前に5キロほど痩せてしまって、その後も体重は戻っていません。まあ、菊花賞が終わるまではこのままでしょう(苦笑)」
市川明彦厩務員「学習能力が高くて気持ちのリセットが上手。注射や点滴をするとその痛みを記憶して、次からは獣医さんがくると嫌がる馬もいます。でも、ディープインパクトは自分でそんな気持ちをリセットして平常心に戻れるんです。理解力、消化力に秀でているんでしょうね。牧場時代にずっと担当していたのが女性で、その時期に人間とのしっかりした信頼関係が築かれたのでしょう。私はその信頼関係を受け継いで接しているだけ。時折SS産駒特有のキツさを垣間見せることもありますが、基本的には聡明で手のかからない馬。ダービーに勝つことは池江先生の悲願で、厩舎のためにもなんとかしたいと思っていました。その目標が達成できたこともあって、この秋は応援してくれているたくさんのファンの皆さんのために、なんとか勝ちたいという気持ちに変わってきました。プレッシャーはありますが、私が動揺して馬自身の心を乱してしまったりすることがないように、とにかく馬に迷惑をかけないようにと心掛けています」
9月27日、火曜日の午後。ふと思い立ってトレセンに出掛けた。馴染みの厩舎数軒をのぞいた後で池江厩舎に足を向けた。ディープインパクトは馬房の中にいたが、厩舎全体に当然ながらピリピリした緊張感が漂っていた。大仲部屋で談笑している最中に彼と馴染みの厩務員さんが「ちょっとだけインパクトの写真を撮らせて」と尋ねてきたが、「もう眠っているかもしれないから、今度にして」と毅然としていた市川厩務員。馬だけでなく、人間たちも三冠をめざして戦い続けているのである。
最終章まであと3週間。馬に触れ(実はディープインパクトを近くで見たのは初めて)人に触れたことで私自身の気持ちも多少は高揚してきた。菊花賞のファンファーレが鳴るときには仕事を放り出してライヴの輪に飛び込んでみようかと考えている。すっかり鈍化してしまった自身の感性に刺戟を与えるためにも。
競馬ブック編集局員 村上和巳 ◆競馬道Onlineからのお知らせ◆ このコラムが本になりました。 「トレセン発 馬も泣くほど、イイ話」⇒東邦出版HP