・タップダンスシチー ・サンライズペガサス ・オースミハルカ ・ゼンノロブロイ ・リンカーン ・ヘヴンリーロマンス ・コスモバルク ・ハーツクライ ・デルタブルース ・スズカマンボ ・ディープインパクト
以前にも書いたが、最初に関西に流れてきたときに馴染めないものがふたつあった。まずは簡潔にして独特なイントネーションの関西弁。これには閉口した。テレビを通して見聞きする関西芸人の言葉や会話はほとんど騒音(失礼)でしかなく、長時間続けて接することができなかった。それともうひとつ、関西料理の薄味も物足りなかった。うどん、そばの類はダシの色の薄さだけでも奇妙だった。北海道、東京といった関東以北でしか生活経験のない私にとって、生活習慣も文化も違う関西はほとんど異国であり、長く住み続けるつもりはなかった。区切りがついたら関東圏に戻る計画を練っていたのだ。ところが、なかなかシナリオ通りに進まないのが人生というものでもある。
関西へ流れ着いて30数年。当初は耳障りだった関西弁がビートの効いた切れのいい言葉に変化して、可愛い女の子が「彼氏、いてないねんもん」なんて台詞を口にすると「おお、可愛いやんか」と自分の感想までもが関西弁風になってきている。なんとまあ軽薄なことかと呆れつつも薄味の麺類を口にして「ごっつ旨いわ、これ」なんて平然と言えるようになっているのだ。とはいっても、私の操る怪しげな関西弁(ほとんど語尾だけ)にはネイティヴな関西人からよくクレームがつく。「お前の関西弁はアカン。とってつけたような胡散臭さが漂っとる。イントネーションもおかしい」というように。自分自身も判っているのだが、日常会話の慣用句だけ、語尾だけが確実に関西弁になっている私。こんな姿になるとは想定していなかったが、流れに身を任せてきた人生とあってこれはこれで、まあ仕方ない。
出張で東京に行くことが年に数回あるが、そんなときは日程が許す限り週末まで滞在して競馬場に行く。そして夜は新宿界隈で友人たちと飲み会をするため、必然的に日曜夜は都内のホテルに宿泊する。そして月曜朝、いつも不満に思うことがひとつ。『痛快エブリデイ』というテレビ番組が関東圏では放映していないのである。桂南光司会の掛け合い漫才のようなトーク番組で、いつの頃からか見るようになっている。レギュラーの落語家、漫才師、コメディアンといった面々が究極のフリートークを展開する。それぞれが放送禁止ギリギリのところで本音をぶつけ合うのだ。ネタの種類によっては会話が空回りすることもあるが、それでもまあ退屈はしない。この手の番組は台本があってなきのごとしだからこそ成り立つものだと思っている。
私がラジオの競馬中継の解説をしていたときもそうだった。当初は番組開始の20分前に放送席へ行って打ち合わせをした。分刻み、秒刻みで進行する番組の台本を用意して、司会のアナウンサー、女性アシスタント、ディレクター、私の4人で綿密な打ち合わせをした。しかし、そのパターンを繰り返すうちに退屈になってきた。番組が型に嵌りすぎるのだ。そこで対策を練った。パドック解説、本馬場解説、レース予想、実況、レース回顧といった基本形はあくまで単なる基本。臨機応変に、状況に応じたタイムリーな会話を織り交ぜようと。それからは番組の3分前に放送席に座って形だけの打ち合わせを済ませるだけであとは成り行き任せ。突然アシスタントが馬に対する素朴な質問をぶつけたかと思うと司会者が競馬文化論を口にする。私の説明に矛盾があればそれぞれが鋭く切り込んできて四苦八苦する場面もあれば、めったに受けない私のギャグが嵌ってスタッフ全員が笑いこけるシーンもあった。スタイルを変えてからは聴取者の方からの投書もグンと増えた。
いよいよ無敗の三冠馬が初めて古馬に挑む有馬記念である。ディープインパクトがどんなレースをするのか興味深いが、少々気になることもある。ダービー、菊花賞とレース前から競馬場内にインパクト像を設置したりポスターを配ったりしていたそんなJRAの姿勢が気に入らないのだ。一頭の競走馬の活躍が競馬人気を復興させる可能性を秘めていることは否定しないが、主催者がすべてをかなぐり捨てて三冠馬の応援に走り回る姿は見るに耐えない。菊花賞前にある調教師が「実はウチの馬も目下絶好調。ひょっとしたらと思ってはいるが、もし菊花賞を勝ってしまったらJRAやファンにひんしゅくを買わないか心配」と真剣に悩んでいたのを思い出す。そんな雰囲気をつくってしまうこと自体がすでに健全ではないのだ。 あくまで強い馬が強いレースをするからこそ、そんな馬たちが見る側の胸を打つような素晴らしい場面を創り出すからこそファンは競馬に魅かれるのである。ダービーのあとのこの欄でも書いたが、JRAが都合のいいシナリオづくりやわざとらしい演出を繰り返すことはファンに対してはもちろん、ひたむきに走り続ける馬たちに対しても失礼ではないか。この時期にやれ銅像だの三冠祈念弁当だの飛行船だのなんてものは不要。主催者たるものは競馬の将来を見据えたもっと地道で地に足のついた広報活動を展開することが肝要なのである。このままではせっかくディープインパクトが築きつつある現在の競馬ブームも、単なる一過性のブームで終わってしまう可能性を否定できない。
競馬ブック編集局員 村上和巳 ◆競馬道Onlineからのお知らせ◆ このコラムが本になりました。 「トレセン発 馬も泣くほど、イイ話」⇒東邦出版HP