『裁決の話』
東日本の競馬が再開されて、7年ぶりの新馬券WIN5もスタート。まだまだ震災の影響は残りますが、少しずつでも通常の空気が戻ってきた感じ。そんなわけで、今回は昨年秋から年明けにかけて、競馬の世界で何度も話題に上がっていた件─裁決について触れてみたいと思います。 エリザベス女王杯のスノーフェアリーに始まって、ジャパンCのブエナビスタの1着入線後の降着。朝日杯FSの優勝馬グランプリボスの過怠金10万円。年明けの小倉では田辺騎手がゴール前の御法について過怠金10万円。黛騎手は同じ事由により騎乗停止処分となり、そして阪神では騎乗停止処分を受けた幸騎手が不服申し立てをして、裁定委員会が処分妥当の裁決を下す、というようなことがありました。性質が異なる案件もありますが、主だったところはこの6例でしょうか。
これらの件に触れるにあたって、まず報告しておかねばならないのが昨年の12月16日、美浦トレセンの広報会館で開催されたJRAの審判部と専門紙記者との“勉強会”のこと。前述の第30回ジャパンCのブエナビスタ降着に関することで、「走行妨害」の判断基準について、が主なテーマでした。 ポイントとして挙げられたのが@加害馬の規程違反による斜行が認められ、A被害馬・騎手の対応に非がなく、B被害馬の能力発揮への影響が重大であれば、という点。これが揃った時に走行妨害とされ、降着あるいは失格となる(被害馬先着時は除く)、というもの。諸外国の判断ポイントも紹介しつつ、各国それぞれに微妙に異なる判断基準についての勉強会でしたが、いずれにしても上記の3つのポイントについては、誰もが理解しているつもりのことでしょう。 審判部の中村嘉宏氏が説明に当たってくださって、ひと通りの話が終わって質疑の段になると、まず話題に上がったのが08年トールポピーのオークスの一件。着順を変更するにはいたらず、と入線順通りに確定し、鞍上の池添騎手が騎乗停止処分になったという、あの一件です。これに関しては、これまでもさんざん話題になってますから、“それぞれの馬に対して降着するほどの不利を与えたわけではない、でも御法が問題なので”という騎手に対してのみ適用された制裁理由を目にしたことがあるでしょう。
問題は、そのことがおかしいとか、おかしくないとかではありません。 質疑の途中で、中村氏が野球の主審を例にとって判断の難しさ、微妙さをおっしゃるので、「我々を含めたファンの多くが知りたいのは、そのストライクとボールの違いをどこでどう決めて発表しているのか、どういう経緯で判定が下っているのかなのです」と発言したのですが、つまり問題になるのは、ルールの方は十分に理解できているから、その判断基準をどう制裁に反映させるのか、どんな手順、過程を踏んで執行されるのか、ということではないでしょうか。トールポピーのケースで言えば、誰が、どこを見て「着順に影響があるほどの斜行ではない」と判断したのか、ということです。 その答えをごく簡潔に言ってしまうと、開催場で裁決を担当する委員3人の話し合いによって決められる、ということ。意見が分かれてしまうような難しいケースはどうなるかというと、ボクシングのジャッジではないですが、最終的に多数決のようになるケースも出かねない。その時々で判定にブレのようなものが感じられるのは、このあたりの流れが原因なのでしょうか。 何にしても、ともかくそういうシステムなのだから受け入れざるを得ないわけですが、でも、やっぱり釈然としない部分も残ります。これについて中村氏は、「あくまで私見ですが」としながら「ホームページ上で審議の過程を詳細にアップしていくといったようなことをすれば、より多くのファンに理解していただけるようになるかも」と述べておられました。それこそ、先に例に挙げたボクシングでは、いつ頃からか試合途中でジャッジの評定を発表するようになりましたね。昨今、冤罪事件の関係で、検察のあり方がさんざん問題になっていますが、そこでのキーワード“可視化”が、競馬の裁決の世界にも有効な手段として検討されていいのかもしれません。 そもそもが、すべての人が納得する、できる判定などあり得ないでしょう。その判定で馬券が的中する人と外れる人の両方が出るのですから。そう考えると、競馬の裁決委員というのは辛くて苦しいばかりの損な役回り。それでもレースの公正さを保ち、スポーツ競技として成立させるためには不可欠かつ重要な存在であることは言うまでもありません。主催者機関が裁決を担当する意味なども含めて、できるだけ多くの人が納得できるような透明性の高い裁決のあり方、方法を考えていくべきでしょう。
さて、その勉強会で質疑が一段と活発になったのは、まさに“騎手の御法”についてでした。前置きが長くなってしまったと言ってはなんですが、要するに“ゴール前の姿勢”のこと。ここ数回書いている“一般ファンのチェック機能”がわかりやすく機能しているのも、ここではないでしょうか。その点について裁決は、年が明けてからの2例に見る通り、厳しい判断を下すようになった印象があるわけですが、そう考えると幸騎手の件だけは理屈に合わない感じも出てきます。そのあたりも含めて、また改めて、ということで。
美浦編集局 和田章郎