『論争の喪失』
今年に入って元横綱、大鵬の納谷幸喜氏が、そしてこのほど、プロ野球界から長嶋茂雄氏と松井秀喜氏のお二人が国民栄誉賞を受賞しました。 大鵬、長嶋のお二人がこのタイミングで受賞するのは、多くの方が感じておられるのと同じ違和感を私も覚えますし、改めてこの賞の価値とか意義などを考えさせられることにもなりました。が、しかし、ここではそういう話をするつもりはなく、国民の注目度としての大相撲と野球、という話から。
前々回の当コラムでチラッと触れたNHK・BSの“スポーツの名勝負”にスポットを当てた番組。その中に、昭和47年の大相撲初場所「北の富士対貴ノ花」の一番が取り上げられた回がありました。 9秒の攻防の末、仰向けに倒れそうになった関脇貴ノ花がうっちゃりを打ち、そのまま背中から落ちるのですが、横綱北の富士の右手が先に土俵に着いて軍配は貴ノ花に。これに審判団から物言いがついて協議した結果、行司差し違えで北の富士の勝ちとなりました。 この裁定について翌日、いや当日夜から、各方面で大きな話題として取り上げられることになったのだそうです。審判団が下した判断は妥当だったか否か、つまり争点は北の富士の右手が「かばい手かつき手か」ということで。 筆者もまだ相撲を毎日楽しみにしてた、というほどではない時分で、リアルタイムでの記憶はないのですが、そういう一番があったことを後々(今回の番組以前に)知ったくらいですから、当時の論争の盛り上がり方は相当なものだったのでしょう。
野球の方では、記憶に新しいところで2007年11月1日の日本シリーズ第5戦。 私事ながら先月、元プロ野球選手で中日ドラゴンズ前監督の落合博満氏の講演会に行ってきましたが、上記の日付は彼がドラゴンズを53年ぶりの日本一に導いたまさにその日。その試合で彼が取った采配が、全国的に賛否両論を巻き起こすことになりました。 簡単に振り返ると、先発したドラゴンズの山井投手が8回までファイターズ打線をパーフェクトに抑え込んで1対0でリード。9回のマウンドは過去に例のない大記録がかかりますが、落合監督、ここでリリーフに岩瀬投手を送ったのです。 それからしばらくの間、野球ファンであるかどうかにかかわらず、この采配が巷の話題に上がっていました。こちらの争点は「個人記録かチームの勝利か」を軸に、「選手起用の際の人情論」や、更にこの采配に「ファンに向けられた視点があるや否や」といったところまで、様々なことが新聞、雑誌、ネットで語られました。
この二つの例は、大相撲と野球という、日本で最もポピュラーな競技であればこそ沸き起こった例には違いありません。それだけ注目度が高い、という裏返しでもあります。 しかし、こうした議論の対象となる事柄は、どの競技においても少なからず生じているはず。それが大きく取り上げられないのは、競技の注目度が低いからでしょうか。はたまた論争のテーマが取るに足らないからでしょうか。
関係者にとってみれば、注目度の高い低いは問題外。たとえそれが全国的な広がりを見せなくとも、関わっている人すべてが共有できる話題があるのとないのとでは、盛り上がり方が違って当たり前。 競馬だって同じ…と考えて、最近、議論された話題を思い起こすと、どことなく気分が沈みがちになってしまいました。 裁決のこととか制裁のこととか、あるいは調教師、騎手の免許更新といったような制度上のことがもっぱらで、イメージ的に“負”の面が多い。競馬場でのマナーについてもそうで、こちらは話題になっても結論ありき、で論争にはなりようがありません。 何年かおきに生じる“年度代表馬”論争も、最近は案外、火がつきません。無論、「代表馬は結果がすべてだから」という見方はありますが、例えば昨年だって、もう少し違った側面からの議論が戦わされてもよかったように思います。 それこそ一般のファンを巻き込んだ論争らしい論争となると、ナリタブライアンが高松宮杯に出走した一件(1996年)くらいまで遡ることに…?
この“論争の喪失”現象。不思議な感じがありますが、はたして“話題の枯渇”によるものなのでしょうか。
予定調和を求める“さとり世代”の思考感覚が、“あきらめ世代”にも受け入れられ、いや世代を超えて疲弊し切った“日本人”に蔓延した結果、なのかどうか。そのことで物分りのいい人が増えたせいなのかどうかもわかりません。 とにかく、議論すべきことがあるのに、きちんと議論されていない。そう思えてなりません。
例えば“ハルウララ現象”。 あの件について、懐疑的な意見を提起した人もいました。が、多くの論調は“イケイケ”で空虚な盛り上がりをアオり、真剣な議論はスルー。その結果、地方競馬が抱えている問題点等、重要な部分は無視されてしまった。
キングカメハメハとディープインパクトの比較なども、たった1年違いのダービー馬であるのに、「触れてはならないこと」のような扱いでした(まあディープインパクトについては、全体に腫れ物に触るような、強張ったところも感じられましたが)。
つまり…。 論争の喪失、話題の枯渇。これらのことは、決して受け取る側だけの問題ではない、ということです。
いかに目の前で起きている現象を伝えるか、その現象についての疑問や課題点を提起するか、そして、ひいてはどんなふうに話題を提供するか。 向くところを間違わず、独善的でなく、偏らず…。
5月26日は80回目となる記念の東京優駿、日本ダービーです。 これについて、どのように取り上げて話題にするのか…。この一大イベントの成否がかかっている、とまで言ってしまっては主役達に失礼になりますね。 しかし、そのくらいの気概、意識を持つべきである。と、自らに言い聞かせながら記念のダービーを迎えたいと思っているところです。
美浦編集局 和田章郎