『中京競馬場のこの一頭』
8月22日の中間発表では上位20位までに名前ナシ……。ちなみに、1位はサイレンススズカで2位がオグリキャップ。3位以降もGT、あるいはGT級の優勝馬がズラリと名を連ねているのだから、まあ、30年前の重賞1勝馬アスコットエイトが圏外≠ネのも、当然といえば当然かもしれません……。
今年、開設60周年を迎える中京競馬場。それを記念して企画されたのが、中京で活躍した思い出の1頭をファン投票で決めるという、この「思い出のベストホース大賞」です。ベストホースに選出された馬をモチーフにしたモニュメントが入場門付近に設置されるとのことで、選ばれた馬にとっても、これはたいへん名誉なことでしょう。中京競馬場の東入場門で、訪れるファンを迎えることになるのは果たしてどの馬か?
冒頭で紹介した通り、中間発表では2位を大きく引き離してサイレンススズカがトップを独走中。まさしく現役時代のレースぶりさながら、といった感があります。そのサイレンススズカの輝かしい戦歴を今さらここで触れる必要もないでしょうが、この中京でも重賞2勝をマークしており、そのうちのひとつ、金鯱賞では2着馬を1秒8もち切る大圧勝でした。勿論、中京以外での成績も加味されての今回の高い支持だとは思いますが、この金鯱賞の大圧勝が中間トップ≠フ大きな要因になっていることは間違いないところでしょう。
<思い出のベストホース中間発表>
で、そこまで思いが及んだ時に、「それならば」と頭に浮かんだ一頭が、1984年の中日新聞杯を制したアスコットエイトだったのです。まあ、この馬をベストホースと呼んでしまうのは少々語弊があるかもしれません。しかし、その勝ちっぷりにはまさに強烈なインパクトがありました。前出のサイレンススズカが2着に1秒8差なら、このアスコットエイトが優勝した1984年の中日新聞杯は、2着馬を突き放すこと実に2秒3。雪のため芝1800mからダート1700mに変更して行われたこのレース。勝ちタイムは当時のレコードをコンマ6秒更新する1分44秒0ですから、単純に換算すると、アスコットエイトがゴールしたその瞬間、2着のリュウボーイはゴール板からまだ37mも手前を走っていたことになります。ちなみに、中央競馬の重賞における2秒3差というのは、ヒカルタカイの1968年天皇賞・春(2秒8差)、ハローモアの1961年毎日王冠(2秒4差)に次いで、この当時の歴代3位という記録でした。
このアスコットエイトは通算7勝のすべてがダート戦という、まさにダートの鬼。本来、芝で行われるはずだった中日新聞杯は、あくまでも新設されたダート重賞・フェブラリーHに向かう前の叩き台だったものと思われます。ところが、この週は全国的な大雪禍。中山のAJCC(優勝馬シュウザンキング)、京都の日経新春杯(同エリモローラ)、そしてこの中日新聞杯と、開催3場の重賞がすべてダート変更されるという異例の事態に陥ったのですが、これがアスコットエイトにとっては、「水を得た魚」ならぬ、「砂を得たダート馬」。こんな天気のいたずらによって、記録的なワンサイドゲームが誕生することになったのです。この中日新聞杯の圧勝により、続く第1回のフェブラリーHでは単勝1.4倍という断然の支持を得たアスコットエイトでしたが、結果はロバリアアモンの2着。物事は思い通り、計算通りにはなかなか運ばないものです。
<アスコットエイト全競走成績>
アスコットエイトは必ずしも連戦連勝の強さを誇ったわけではありません。この当時はまだダート路線が整備途上だったにせよ、獲得した重賞もここで紹介したダート変更の中日新聞杯ひとつだけでした。ただ、通算7勝のうちの3勝が大差勝ちで、タイム差は、それぞれ2秒1、2秒0、2秒3。他にも9馬身差の勝利が1回、3馬身半差の勝利が2回と、勝つ時は常に他を寄せつけない豪快な勝ちっぷり。その一方で、ミスターシービーが三冠を達成した菊花賞では、芝3000mを飛ばしに飛ばし、語り草(?)になるようなバテ方もした馬。漆黒の馬体に四白、そして、大きな流星という目立つ容姿も手伝って、とにかく派手なパフォーマンスを見せてくれる個性派でした。
入場門のモニュメントまでは無理だとしても、この個性派アスコットエイトが最終結果でひょこりと顔を出したりはしないだろうか……。ファン投票が締め切られるのは3日間競馬の最終日にあたる9月16日(月・祝)。最終結果の発表は中京競馬場開設60周年記念感謝デーの9月29日(日)。とりあえず、自分はネット投票で30年前の重賞1勝馬に1票を投じておきました。
美浦編集局 宇土秀顕