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戸山イズム

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◆戸山イズム

 栗東に坂路コースができる十数年前。トレセンで風変わりなインターバルトレーニングを繰り返す厩舎があった。コースの向こう正面の直線を利用し、それぞれの馬が400〜600mダッシュを幾度となく繰り返すのだ。記者席に陣取る採時担当者は、行っては止める馬たちの姿を見て「なんや、また戸山厩舎の奇妙な調教かいな」と呟き、その姿を双眼鏡の視界から外した。彼らはフラットなダートのトラックで行われる画一的な調教しか知らなかったのだ。

 当初、故障馬のリハビリ施設として作られた(1987年)坂路コースは戸山調教師の積極的な活用で脚光を浴び、ほどなく新たな調教施設として認知された。完成から5年後、戸山流インターバルトレーニングが生み出したミホノブルボン(マグニテュード×シャレー)が皐月賞、ダービーを連勝。購買価格700万円の安価な短距離血統馬の二冠達成は、当時の私にとって競馬観が変わってしまうほどの衝撃的な出来事だった。1日に5度も坂路を駆け上がる猛スパーリングを繰り返したミホノブルボンは、入厩時の地味な馬体が一変。ダービーの頃には全身が筋肉の塊のような素晴らしい馬体に変貌を遂げていた。

 戸山流のスパルタトレーニングで完成されたミホノブルボンは血統論者に挑戦するかのように菊花賞制覇を目論んだが、関東の刺客ライスシャワーに差されて2着。奇跡の三冠達成は夢に終わった。「この馬の能力は極限まで引き出せたが、適性までは変えられなかった」−無念そうに語った戸山調教師の姿が忘れられない。

 1993年、肝不全で61年の生涯を終えた戸山為夫さんは、進取の精神に富んだ理論家肌の人物だったが、反面、頑固で義理人情に厚い一面も持ち合わせた存在感のある調教師の一人だった。取材中に軽率な質問をして「非論理的すぎる」と叱られたこともあったが、思い出せば懐かしい。

 そんな戸山さんの愛弟子(戸山厩舎で主戦騎手として活躍した)小島貞博調教師が今週から厩舎を開業する。彼がどんな形で“戸山イズム”を継承するのか、密かに楽しみにしている。


競馬ブック編集局員 村上和巳


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