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不況が続いている時代背景も手伝って最近はともすると暗くなりがちな私の周囲だが、この1週間は珍しく明るい話題が続いた。世の中ってのも捨てたもんじゃないという気になっただけでも嬉しい。この調子で競馬サークルも以前の活気を取り戻して欲しいなんて考えたりしている。一朝一夕に時代が変わるはずもないが、まあ、気長に春を待ちたいものだ。
「お久しぶりです。いろいろ心配をかけましたけど、やっとこうして顔を出せるようになりました。誰か判るかって?ちゃんと判りますよ。ネットの原稿やらなんやらを通してあれこれ僕のことを気遣っていただいたそうで、ほんとに感謝しています。頑張ってリハビリに精を出していますから、もう大丈夫。安心してください。見ての通り、元気になったでしょ」
2月13日の午後。お母さんに付き添われて常石勝義騎手が会社にやってきた。応接間で久々に会ったツネは落馬事故の後遺症もほとんど感じられないほど元気。ちゃんと自分の足で歩き、きちんと自分の言葉で喋っていた。私のことを覚えてくれていたのも嬉しかった。最近になって京都市内の病院からトレセン近くの済生会病院に転院。リハビリに励んでいるという。この済生会病院にはJRAからの資金協力で作られた素晴らしいリハビリ施設がある。心置きなくその施設を利用してより元気になってくれたらいいなと思う。この日の夜は浮かれてビール、日本酒を痛飲。型通りの酔っ払いオヤジとなってしまったが、こんなことがあってもいい。
「ああ、久しぶりです。わざわざ電話ありがとう。お陰さまでなんとか合格できましたわ。一時は(調教師試験を)もう受けんとこかと考えたこともあったけど、諦めずにやってきてよかった。これからがまた違う意味で大変やろとは思うけど、まあ、しっかり頑張りますわ。仕事が忙しいやろに、ご丁寧に電話までいただいてホンマにありがとうございました」
これは松永昌博元騎手。2月17日にJRAから送られてきたFAXで調教師試験合格を知り、思わず電話を入れた。騎手を引退して調教助手になり、チャレンジすること10回目。51歳にして調教師試験にパスしたのだから立派である。2003年春のこのコラム『一次試験免除について』のなかで、「朝は調教に跨り、午後からは体力トレーニングでジム通い。土日はレースで年中どこかへ移動。それでも、先を考えて調教師試験用の勉強をと思っても、夜、机に向かうと、活字がボヤけて見えん」(あるベテラン騎手)というコメントを紹介したが、そのベテラン騎手が松永昌博本人だった。デビュー当時はヤンチャで血の気の多い若者を演じていたが、実は人情味があってシャイ。そんな人柄にずっと好感を抱いていた。この日の夜はビール、焼酎をグビグビ。酒量は通常の2倍を超え、完璧な泥酔オヤジになってしまったが、こんなこともあっていい。
週初めには重病と長く戦い続けていた友人が、失って久しい普通の人生を取り戻すべく大手術に挑む決意を電話で私に伝えてきた。いつもは饒舌な彼と私。なのに、交わした言葉は短い単語だけだったが、互いの気持ちは十分に理解し合えたと思っている。そんなこんなで、ここ数日は「負けるなよ」と呟いては飲み、「よかったな」とはしゃいでは飲み、酒が途切れることがなかった。勝負の世界ほどの派手さはなくとも、それぞれが懸命に生きようとしている姿を見ると、やれ馬券が当たったの外れたのといって一喜一憂しているお気楽酔っ払い中年の自分が少々恥ずかしくなった。
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競馬ブック編集局員 村上和巳
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