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1970年代のJRAにはひとりの天才騎手がいた。1978年にJRAリーディングジョッキー部門で8年連続して首位となり、その年には131勝という当時としては驚異的な勝ち星を積み重ねた。その騎手の名を福永洋一という。
福永洋一について語ろうとすると、いったいなにを話したらいいのか、そしてその凄さをどんな風に形容したらいいのか。考えるたびに言葉に窮してしまう。私自身の語彙の少なさや表現力の乏しさもその原因のひとつなのだが、それ以上に彼が馬上で見せた数々のパフォーマンスに圧倒されて、30年近くの歳月が流れたいまでもその姿を正確に伝えられないのだ。
1971年の菊花賞。坂を下り切るまで待ってゆっくり仕掛けないとまず勝てないといわれていた淀の3000メートル。ニホンピロムーテーに騎乗した彼は向こう正面、つまり坂の手前でスルスルと先頭に立ってそのまま押し切って勝った。常識に挑んでこれを苦もなく打ち破ったその姿にはただただ驚かされた。
1976年春の天皇賞。稀代の癖馬といわれ、気まぐれジョージとも呼ばれた個性派エリモジョージとコンビを組んだ彼は、泥んこ馬場をものともせず、3200メートルの長丁場を見事に逃げ切った。単勝の配当はなんと80倍を超える大穴で、彼は気まぐれジョージを最後まで本気で走らせたのだった。
1977年の皐月賞。人気薄のハードバージに跨った彼は中団で機を窺い、4角で進路を最内にとった。前にひしめく馬込みをさばくのは絶望的と思えたが、その刹那、彼はまるで僅かの空間を切り裂くように内外ジグザグに馬を操り、ゴール寸前ですべての馬を交わしていた。それはもう完全に奇跡だった。
武豊もたしかに凄い。天性のあたりの柔らかさと緻密に計算された完璧とも思える騎乗は他の追従を許さない。まるでコンピューターのようだと舌を巻く。しかし、VTRを何度か見れば武豊の心理や読みといったものは、ある程度までは分析できる。一方の福永洋一の騎乗ぶりは常識では計れなかった。その心理や判断そのものが見守る側にはほとんど理解できなかったのだ。そんなレースをしつつ、なおかつ勝ちまくった彼。だからこそ天才だったのである。
駆け出しの競馬記者だった私は「洋一さんって、どうしてそんなに勝てるんですか」と幾度も尋ねた。しかし、それに対する返事はいつも決まって「馬に乗ったことのないヤツにはわからん」。納得できる答えを彼から聞き出せる記者になることが私の夢だった。しかし、1979年の落馬事故でその夢は実現せぬまま終わった。
2005年、3月10日。2943勝という偉大な数字を残して、競馬界の至宝・岡部幸雄が現役を引退した。ひとつの時代が終わった。その記者会見を見ていてふと福永洋一のことを思い出した。騎手として同期だったこのふたりを比べてみると、私にとって岡部幸雄は競馬史に残る秀才騎手であり、福永洋一は天才騎手だった。
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競馬ブック編集局員 村上和巳
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