・ダンスインザムード ・ウインラディウス ・ダイワメジャー ・マイネルハーティー ・ハットトリック ・メイショウボーラー ・アドマイヤマックス ・サイドワインダー ・デュランダル ・ラインクラフト
「重賞初勝利のインタビューを受ける騎手の初々しい姿。かたわらでそれを見守りつつ、目を赤くしていた調教師。G1を勝っても沈着冷静だったその調教師の涙は、弟子への思いがあればこそ。インタビュー後に『先生が泣いてくれて……』と言葉を詰まらせる騎手。こんないい場面を見せられると、取材している我々まで胸が詰まってしまう。なのに『世話のやける子ほど可愛いっていうやろ』と茶々を入れてしまうヘソ曲がりな私。いつも思うことだが、この性格、なんとかならんもんかな。さて今週は頑張った渡辺騎手のジュエリーソード(4歳500万)を」
1999年、2月15日発売号の週刊競馬ブック・ブロードキャストコメンテイターに載った私の原稿である。前週に行われたきさらぎ賞で人馬ともに重賞初制覇を達成した渡辺薫彦騎手とナリタトップロードのコンビにスポットをあてて、沖芳夫調教師も交えたレース直後の検量室の様子を紹介している。普段から厩舎を歩き回っていればこそ知ることのできる人と馬との微笑ましい風景や感動的な瞬間。そんな場面をファンに紹介するのも我々競馬マスコミの使命と考えて取り上げたのだが、あのきさらぎ賞後の検量室で繰り広げられたシーンはいまになっても克明に記憶に残っている。赤帽の頃から知っている薫彦の晴れ姿には私まで切なくなり、調教師と騎手との愛情あふれる師弟関係にも胸を打たれた。『世話のやける子ほど可愛いっていうやろ』と嫌味な言葉を使ったのは取材者である私までがその場面にのめり込むべきではないと考えたから。そして、優しすぎる性格の薫彦の気持ちを落ち着かせようとする配慮もあったのだ。
11月7日の朝、北海道の知人からナリタトップロードが心不全で死亡したとの電話が入った。動揺しつつも現役時代のトップロードと縁の深かった知人数人にその知らせをメールで送ったところ、それぞれが驚きと悲しみの入り混じった感想を送り返してきた。そんななかで薫彦だけはすでに事実を知っていて「寂しいです」という短いメールが戻ってきただけだった。この日は日が暮れる前から酒を飲んだ。かなりの長時間ひとりで飲み続けたのに酔いが回ることはなかった。そしてトップロード関連の出版物や資料を机に並べてただただ漫然と時を過ごした。
水曜日になって事態は一変。周囲から週報でナリタトップロードの追悼記事をとの声が続出。一気に動き回ることとなった。菊花賞を勝った後はG1レースで11戦全敗。宿敵テイエムオペラオーには一度として先着することがなかった。そんな記憶が焼きついているせいか、好き嫌いを別にして私自身にはトップロード=マイナーのイメージが定着してしまっていた。いつもひたむきでいつも一生懸命――なのに勝利とは無縁。そんなトップロードの死を敢えて特集として組むべきか否か。正直なところ悩んだ。この馬の追悼記事を掲載したという前例を残すと今後の週報の企画に大きく影響してくる。それに加えて、情けないことながら私自身がその企画に冷静に向かい合えない。そう考えたから。しかし、ファンからもトップロードが死亡したことについての問い合わせのメールや電話が続き、ネット上でもかなりの話題を集めていることを確認して私の気持ちは変化した。ただ、ひとつだけ心に決めたことがある。必要以上の感情移入をせずに事実関係を客観視した原稿を書こうと。今回の特集はあくまで特例として扱うことにしたのだから。
追悼記事はモノクロの2ページ。沖調教師と渡辺騎手のインタビューをメインにすることに決めて、ぶしつけながら10日の夜にそれぞれに電話取材を申し込んだ。厩舎取材班としてトレセンを駆け回っていた頃から思っていたことだが、知的で思慮深く、そして馬に対して限りない愛情を注ぐ沖調教師の生き様には改めて感心させられた。会話のなかの一部を抜粋して紹介する。
私 身体能力は傑出したものがあるのに、結果的にG1はひとつだけしか勝てませんでした。トップロードに足りなかったものはなんだったんでしょうか。個人的な印象ながら、極限の闘争心が要求されるゴール前の叩き合いになったときに、トップロードの気持ちの優しさがマイナスになっていたのではないか。そんなふうにも考えているんですが。
沖 あの馬に足りなかったものですか?いつも全力で走ってくれたことに対する感謝の気持ちはあっても、そんなふうに考えたことは一度もありません。
私 現場にいた頃にも質問したことなのですが、テイエムオペラオーを避けて別なレースに使うことを考えれば、もっと勝ち星も増やせたと思うのですが、その点については。 沖 メンバーを吟味してからレースを選ぶというのではなく、あくまでトップロードの適性を考えて、それにふさわしいレースに使ってきたということ。それだけです。たまたまそこにはテイエムオペラオーがいたというだけのことで……。
無責任にして軽薄、そして底の浅い質問を繰り返した私と、馬を愛しつつもあくまで冷静に理想を追い求める沖調教師。人間としてのレベルの違いを痛感した私はただただ恥じ入るしかなかった。最後は週報に掲載した渡辺騎手の言葉のラストの部分を紹介して今回の原稿を締めくくるが、現役競走馬としてはもちろん、G1を1勝しただけの内国産馬としては破格ともいえる評価を受けた種牡馬時代も含めて、トップロードは恵まれた環境で一生を送れたのではないか。いまはそんなふうに考えている。
「気持ちが昂ぶって冷静さを失いかけたとき、トップロードの背中に跨ると不思議なほどに気持ちが落ち着きました。僕にとってはかけがえのない馬でした。一度牧場まで会いに行こうと思いながら実現できずにいたので、7日朝の知らせはショックでした。寂しいですね。来年にはトップロードの産駒がデビューしますから、跨ったときに父の背中の懐かしい感触が甦ってくるような馬に巡り合いたいものです」
競馬ブック編集局員 村上和巳 ◆競馬道Onlineからのお知らせ◆ このコラムが本になりました。 「トレセン発 馬も泣くほど、イイ話」⇒東邦出版HP