12月の1週目で中京、阪神と場こそ違え、奇しくも同様の戦法でマンネリ打破に成功している。先に勝ち名乗りを挙げたのが12月8日中日新聞杯でのグランパドドゥ。初勝利であった00年の阪神戦は逃げ切っており、稍重馬場で競りかける者もなくスローペースに持ち込んでいた。その後は今年の1月松籟Sで、再び道悪を利した逃げでダイタクアスリートの2着。それ以外はすべて抑える策を取ってきていた。G1のオークス、秋華賞いずれも5着ながら、オープン馬といってもいいだけの実力を証明している。しかし、2勝止まりで1000万級においてさえ勝ちあぐねているのが実情だった。
一方9日鳴尾記念を勝ったメイショウオウドウは、グランパドドゥと違ってG2大阪杯勝ちがあるれっきとしたオープン馬。G1を勝っても不思議でないのだが、道中で不利がある等ツキのなさも災い勝ち損じが目についていたのは確か。追い込み一辺倒の戦法に行き詰まり感が生まれかかっていた矢先だった。
逃げる戦法を2度体験していたグランパドドゥに対し、メイショウオウドウはまるで初めての試み。それに類するものといえば朝日チャレンジCを2番手で粘り込んだことぐらい。それもアッサリとツルマルツヨシに差し切られており“この戦法で”という確信は得られなかったのだろう。そして今回敢然とハナに立った。グランパドドゥ陣営は、小回りコースの先行策で定評のある中舘を鞍上に配した。高松宮記念当日に差し合って乗れなかった但馬S以外はずっと河内が乗り続けていたもので、適度の強引さを売り物とする個性派中舘の手綱捌きを馬も新鮮味として感じ取っていたのかも知れない。手替わりで成功している好例。
メイショウオウドウの飯田は性格温厚の優等生型。それがいつもと打って変わり我武者羅に先頭へ立たせていた。あの荒っぽく普通でない意気込みが馬に伝わったに違いない。どういう形にしろ、素晴らしい能力を眠らせたままで終わらすのは勿体ない話だ。新味を引き出すための試みへ積極果敢に挑戦することを勧めるにあたり、引き合いにするにはふさわしい2例であった。
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